2016-04-29  出来事 

市街化

 山の中からこの地に出てきて50年になりますが、当時は、写真の範囲では果樹園の中に隣の家と2軒だけでした。
見通しが悪いので裏のガラスを割られ空き巣に入られたこともありましたが、後継者の居なくなった農家の皆さんが組合を作って区画整理をして市街化区域に編入してからは、徐々に家が建ち始め今はこんな状態です。
 在来工法の我が家はハイカラな家々に沈んでしまいました。

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 また、近くの畑に2軒建ちますし、近くの空き地は16区画分譲の看板が立ちました。

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 当時、11戸の農家と越してきた隣の家と私の家13戸の隣組でしたが、その範囲には今では200~300戸の住宅街となりました、反面、空き家も増えていますね、更地にするには金もかかるし税金も高くなるとの事、そのまま放置してある家が多いですね。
 今は、2世帯住宅なんていう言葉は死語になってしまいました。
 
 わが家の庭にもいろいろな花が咲き始めました。

  青い花の名前は知りませんが、小さくて可愛いし色も良いですね、右はカナダオダマキ放っておけば砂利などとんでもない所に生えますね、オダマキ類はそんなのが多いです。

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 サクラマンテマとシュンランです、シュンランは鉢かなんかで育てた方が美しく見えますね、鉢から地面に下ろしたら増えすぎて花の形が良く分からなくなってしまいました。

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 これはハナイカダです、葉の真ん中に花が咲き黒い実を付けます、何とも不思議な木です、葉っぱを舟(筏)、花を人に見立てて付いた名前のようです。

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2016-04-27  毛ばり 

レネゲイド

 先日、昔から使われていたと言う毛ばりの紹介をしましたところ、tamaさんと言う方から「それは西洋毛ばりにあるレネゲイドと言う毛ばりによく似ていますよ」と言うコメントを頂きました。
 フライの事は良く知りませんので、さっそくネットで調べてみましたところ驚きましたね、この毛ばりを巻いていらっしゃる方のサイトも見させていただきましたが、まさにtamaさんのおっしゃる通りでした。

 tamaさんありがとうございました。

 なぜ、生きていれば110歳位になるはずの山奥のおじさんが、同じような形の物を巻いてテンカラ毛ばりで使っていたのでしょうか、不思議ですね。
 ちなみにレネゲイドとは「裏切者」とか反逆的なの意味もあるようですが、変ってはいるが成功者にも使われる言葉だとか、そう考えますと、ちょっと変わった形ですが、良く釣れるフライと考えるのも面白いですね。

 57+(7)_convert_201604.jpg これは、前回紹介した義兄がおじさんの毛ばりをまねして巻いたと言う昔の毛ばりです。









57+(5)_convert_201604.jpg 興味が湧きましたので、そんなことを参考にして私も巻いてみました、義兄いわく真ん中に赤い糸を巻いたものもあったとか、下は茶、上は黒で巻いてみました。





57+(6)_convert_201604.jpg これは、クジャクの胴のみの物です、多分、当時はクジャクは手に入らないはず、これは無いかと思います。
 さらに、今回は巻きませんでしたが、3段の物もあったとか、きっとそれが杉の葉っぱの様に見え、スギッパ巻きと呼ばれたのかもしれませんね。
 
57+(9)_convert_201604.jpg 木綿糸でスッキリと巻いてみました。





















                                                
2016-04-25  出来事 

寄贈

 本家の伯父のところには子供がいなく、私の3番目の兄が養子に入ったのですが、その兄も昨年亡くなり、甥が遺品を整理していたら地元後援会から贈られた奉納相撲用の化粧まわしが出てきたとの事、考えた挙句、当時の写真など含め郷土資料館に寄贈することにしたからと連絡がありました。
 私もあることは知っていましたが、甥っ子がそれでいいのなら結構なことだと賛成し、資料館の歴史展がありましたので見に行ってきました。

 私の父、伯父2人も体格が良く6尺近くあったと言われていましたが、当時は生活するのに精一杯で、子供のいなかった本家の伯父だけが相撲に熱中したようです、近隣の村から強豪が集まり神社境内で奉納相撲が盛んに行われ、後援会みたいなものもあって化粧まわしなどが贈られたようですね。

 昭和20年の集落の神社の奉納相撲らしいですが、伯父は50歳近いはず、当時の50歳で相撲を取れるはずがないので、歌もうまかったから相撲甚句かなんかを唄うために出たのではないかと思います、現役頃の写真があればいいのですが、頭の薄い痩せたのが伯父です。

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少し、色あせていますが、伯父の化粧まわしです、昭和3年ですから90年近く経っています。

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 寄付帳を見ますと壱円なんてのもありますが、今の貨幣価値でどの位でしょうか、今と違って何の娯楽も無く富国強兵の時代でしたから相撲は大変な人気だった事でしょう、 「北の森」やっぱり山の中らしいしこ名ですね。





 今回は「写真が語る郷土の歴史展」という事で、昔の写真が沢山展示されていましたが、その中に親戚の者の写真が無いかと探しましたら、村議会の写真があり母方の伯父も写っていました、役場の職員でしたからでしょう、それにしてもみすぼらしい議場ですね。

 ボンネットバス、私の5年生の時初めて谷にバスが通りました、冬は坂が登れず乗客がみんなで押したこともしばしばでした。

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 そして、この資料館は江戸時代の文人・紀行家の菅江真澄が一年余り滞在した「釜井庵」が隣接しています。

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 当地は、武田信玄の影響もあったようで、近くにはこんな伝説も、見たところただの石なんですが。

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 当時の洗馬村は、昭和34年に塩尻市と合併しましたが、松本空港の一部も含まれるほど広大な畑地ですが、水が無い高原ですので、田んぼが無く作物も限られていました、左は馬鈴薯の出荷でしょうか。

 右の写真は終戦後、たまたま朝鮮戦争、ベトナム戦争と続き、当時、関西・関東方面の鉄道の交通の要としての塩尻駅が米軍の野菜供給地として便利だったためか、西洋野菜、特にレタスなどの産地になりました、日本人は下肥を肥料とするという米軍の嫌がる情報があってか、米軍が頻繁に土壌検査に来ました。

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プロフィール

名前 : ハックル70
山国 信州に住む老人です、奈良井川・木曽川水系の川や山を楽しんでいます、どうぞよろしく。

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